観光や留学でマルタ共和国を訪れるなら、マルタ共和国の成り立ちなど、歴史に関する理解を深めておきたいものです。
マルタ共和国の歴史は大変古く、紀元前5900年にさかのぼります。また、長い歴史の中では、戦争や支配もありました。
この記事では、マルタ共和国の基本情報や歴史、有名な世界遺産を紹介します。
マルタ共和国の基本情報
マルタ共和国は、地中海に囲まれた島国で、ゴゾ島、コミノ島、マルタ島などで構成されています。マルタ共和国の総面積は東京都の約半分程度で、人口は約52万人です。
マルタ共和国の共用語は英語とマルタ語です。長いイギリス統治の歴史があっため、マルタ国民のほとんどが英語を話せます。
また、マルタの気候は日本よりも温かく、5月~10月までは海水浴を楽しめます。ただし、秋冬は昼夜の気温差が大きいため、服装には注意が必要です。
なお、マルタ観光のベストシーズンは6月~8月ですが、この時期には渡航費用や現地物価が高騰する可能性がありますので、費用を抑えたいならベストシーズンは避けたほうが良いでしょう。
マルタの歴史
マルタの歴史は大変古く、シチリア島(イタリア)から農民が渡来したのが始まりとされています。また、長い歴史の中では、他国の勢力に支配される時期もありました。
ここでは、マルタの歴史について順を追って紹介します。
聖ヨハネ騎士団の支配
マルタ騎士団の前身となる聖ヨハネ騎士団は、カトリック修道会の騎士団で、900年もの長い歴史を誇っています。中世ヨーロッパの3大騎士団(テンプル騎士団、ドイツ騎士団、マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団))のうちのひとつです。
聖ヨハネ騎士団は、もともとはキリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる信徒たちの宿泊施設や病院を提供する慈善活動を行っていました。なお、この病院は聖ヨハネ修道院の跡地に建設されたことから、聖ヨハネ病院と呼ばれていました。
しかし、キリスト教とイスラム教の対立により、キリスト教勢力だった聖ヨハネ団はイスラム勢力と長年に渡って闘いを繰り広げることになります。エルサレムが両宗教にとって重要な聖地だったため、土地を巡る争いが起こったのです。
その後、聖ヨハネ団はロードス島に拠点を移したものの、オスマン帝国の攻撃によって拠点を失うことになります。
やがて、神聖ローマ帝国のカール5世によってマルタを与えられました。聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団と呼ばれるようになり、マルタを統治することになるのです。
なお、1565年には、オスマン帝国が再び攻撃を仕掛けてきますが、撃退に成功しています。
フランスとイギリスの支配
1798年になると、フランスのナポレオンがマルタ島に上陸し、それをきっかけに、マルタはフランスに支配されることになります。
しかし、マルタの人々はフランスの統治方法に反発し、イギリス、ナポリ、ポルトガルの支援を受けて包囲戦へと持ち込みます。
こうして勃発した包囲戦は約2年間続きましたが、1800年、フランスはイギリスに対して降伏し、マルタはイギリスの保護国となります。そして、このときにイギリス軍によって持ち込まれた英語がそのまま残り、現在のマルタでの共用語のひとつになっているのです。
独立・EU加盟
1800年頃からイギリス領だったマルタは、1964年に独立。現在のマルタ共和国に至っています。1990年の6月には当時のECに加盟申請し、2003年にはヨーロッパの9か国とともに、EU加盟が承認されました。
現在のマルタは、地中海に浮かぶ美しい島国として知られ、世界中から多くの観光客や留学生が訪れています。
マルタの公用語
マルタの公用語はマルタ語と英語です。マルタにはイギリス領だった歴史があり、その際にイギリス軍から持ち込まれた英語がそのまま定着し、マルタ語とともにマルタの共用語になっています。
また、もともとイギリス軍から持ち込まれた英語ということから、マルタの人々が話す英語は、ブリティシュアクセント寄りの発音だといわれています。
留学先としてのマルタ
マルタでは英語も共用語となっているため、観光だけでなく、英語の留学先としても人気です。マルタは、街の景観がとても美しくリゾート感あふれる国です。リゾート地への留学を希望する方にもおすすめできるでしょう。
ただし、マルタの英語は独特のアクセントがあると感じる方もいますので、この点には注意が必要です。
マルタの世界遺産
マルタには大変有名な世界遺産がありますので、観光や留学でマルタを訪れたのなら、ぜひ足を運んでみてください。
ヴァレッタ(バレッタ)市街
ヴァレッタ(バレッタ)市街は、街全体が世界遺産として登録されている城塞都市です。聖ヨハネ騎士団によって築かれ、1571年に完成しました。
ヴァレッタ市街には、聖ヨハネ騎士団がキリスト教徒のために立てた「聖ヨハネ大聖堂」、政治機関が集結する「騎士団長の宮殿」、「兵器庫」などがあります。また、グランドバーを見下ろせる「アッパーバラッカガーデン」や、ヨーロッパで3番目に古い「マノエル劇場」などもあります。
なお、ヴァレッタ市街の建造物にはハチミツ色の石灰岩でつくられており、「マルタストーン」と呼ばれています。
ヴァレッタ市街は、美しい景観を楽しめる観光地です。ゆっくりと散策しながら歴史を肌で感じてみてはいかがでしょうか。
ハル・サフリエニの地下墳墓
ハル・サフリエニの地下墳墓は「ハイポジューム地下神殿」とも呼ばれ、1902年に行われた住宅地開発の際、偶然発見されました。
ハル・サフリエニの地下墳墓は、もともとは共同墓地だったのではないかと考えられていますが、その全容については未だ壊滅されていません。
地価の深い場所にある石室には複雑な迷路や階段があるほか、外部からの侵入者を転落させるための仕掛けもあり、当時の建築技術の高さをうかがい知ることができます。
1980年に世界遺産に登録されて以来、世界中から多くの方が訪れています。
マルタの巨石神殿群
マルタ島とゴゾ島には、紀元前4000~3000年頃の青銅器時代に造られた巨石神殿があり、その数は30以上ともいわれています。
そのうち7つの巨石神殿が世界遺産として登録されています。なお、マルタの巨石神殿群はすべてが一般公開されていません。ハジャーイム神殿やタルシーン神殿、イムナイドラ神殿など、一部の神殿のみ見れます。
また、1日入場できる人数に制限がかけられていますので、訪れるなら事前チケットの購入がおすすめです。
まとめ
今回は、マルタ共和国の基本情報や歴史、有名な世界遺産についてご紹介してきました。
マルタ共和国は、他国からの支配を受けながら発展してきた国で、これまでに数多くの世界遺産が登録されている国でもあります。
また、イギリス領だった歴史を持つマルタでは、英語が共用語のひとつとなっているため、観光だけでなく、英語の留学先としても人気です。「マルタの歴史に興味を持った」「マルタで英語を学びたい」と思っている方はぜひ、留学先としてマルタを検討してみてはいかがでしょうか。